■CALENDAR■
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30   
<<前月 2010年09月 次月>>
■ADMIN■
ADMIN ID:
ADMIN PW:
■NEW ENTRIES■
■CATEGORIES■
■ARCHIVES■
■PROFILE■
■POWERED BY■
BLOGN(ぶろぐん)
BLOGNPLUS(ぶろぐん+)
■OTHER■

消去しいく時間
消去して行く時間
時間というものには、ふたとうりの数えかたがあるように思われる。ひとつは、一から始まってこれに、無限に一単位<年でも秒でもいいが>ずつ加えていくやり方で、私達はそのようにして、小刻みに未来を生きている。もう一つは、たとえばロケットの打ち上げのときの秒読みのように、あらかじめ未来へ区切った時点へ向けて、一単位ずつ時間を消していくやり方である。残り時間がゼロになったときそれが起こる。未来が終わるのである。
<石原吉郎>海を流れる河

癌を診つけても、すでに転移あり、外科的にも、放射線治療にも、化学療法にも有効な手立てがない場合、人はどのように生きていくのか。どのように残された時間をおくるのか。
それまで生きた場所で、同じように時間をつみあげることを望む人もいる筈ではある。また、逆算して、優先事項から時間を消費して行き、残り時間を使い切ることを望む人もいるだろう。
臨床医の立場からは、この時間の数え方は輻輳する。いちにち、一日、をなるべく苦痛なく過ごしてもらいたいと思いながら、闘う術がどこかにあるとジタバタとして、わずかな期待から、化学療法を試してみたりもする。それは最後まで治療を投げ出してはいけないと教えられ、最後の時には家族の退室をもとめ、心臓マッサージまでも施すことが儀式のように行われていた頃に臨床に入った者にとっての行動様式でもある。生きる希望を最後まで捨ててはいないと積み上げ続ける時間。
20年ほど前は、癌の告知は、ほとんど避けられていた。今は、よほどの事情がなければ、ほぼ告知されるようになっている。本人に治療の選択がゆだねられている。闘う術がなくなった時、苦痛をともなう延命を望む人はまず無い、このことは自明のこととしてあると思う。しかし<、延命>とはどの時点からを指すのかは、明瞭とはいえない。
時間をつみあげていくことが、今の現実から異なる未来に繋がる希望を有する場合には延命とはいえないだろう。
しかし、病気の進行を止める術を無くし、ほぼゴールが数ヶ月先にみえた時、残された時間と為すべき事を勘案して有意義な時間を消費してもらいたいと家族に協力を求め、一日一日が未来ではなく、過去へ過去へと消えていく時間。それを見守り、秒読みをつづける時間。
それは緩和ケア、終末期ケアとよぶべき分野であるのだが、これは一臨床医の担えるものではもはや無い。看護師をはじめ、介護者、家族、友人の支えが必要となる。なにより、本人の死生観、哲学、生き方が問われている。
人とは、そのひとが生きたようにして死んでいくのだ、とつくづく思う。

積み重ね未来へと希望をいだける年齢をはや過ぎて、未来の消失までの秒読みが始まっている我が残りの時間をどう消費するのか、明瞭なプランは今もできていない。惑いながらよろよろ、日々をやり過ごしているのだが、若かりし頃よりも歴史や哲学に魅かれるのはその惑いからだろうか。


| http://www.shirayuri-clinic.com/blognplus/index.php?e=16 |
| コラム | 04:45 PM | comments (x) | trackback (x) |
PAGE TOP ↑