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されど木
木のあいさつ

ある日 木があいさつした
といってもおじぎしたのでは
ありません
ある日 木が立っていた
というのが
木のあいさつです
そして 木がついに
いっぽんの木であるとき
木はあいさつ
そのものです
ですから 木が
とっくに死んで
枯れてしまっても
木は
あいさつしている
ことになるのです

石原吉郎の詩です。
枯れて在るのではなく、伐られて根こそぎ消滅してしまった桜を惜しんでいます。
とても、個人的な感情ではありますが、挨拶もなく知らぬ間に消滅した桜は、後すこしで満開となるはずでしたから、その口惜しさは怒りに近いものでした。
考えてみると、じつに、多くのことどもが知らぬまに、進行しているのでありましょう。
地球の温暖化、貧富の格差拡大、地域紛争、グローバル化と言う名の人間の根を断ち切る経済原理の貫徹。気づいた時には、かって存在したものの残像しかなく、ホゾをかみ、知らなかったことを恨む。そんなことをふと、思ってそら恐ろしくなりました。
木は人間の時間を越えて、生きて立っていることも可能だから何かを語りかける存在なのでしょう。根こそぎされた桜は、少なくとも、私にはひとつのメッセージを残してくれました。その白い花影とともに。


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| コラム | 12:20 AM | comments (x) | trackback (x) |
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