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2008,04,29, Tuesday
論理の飛躍と論理の拡大、それに記憶力。この三つの武器をもつ女と、口論ではとても勝ち目はないと遠藤周作が書いていたように思う。 たとえば、傘をなくして帰宅した夫に、<また、なくしたの。あの傘は2年前、わたしがあなたの誕生祝いにプレゼントしたものなのよ。私のプレゼントなんてどうでもいいのね。そもそも、わたしのことなど、家政婦ぐらいにしか、思ってないんだわ。なによ、これが初めてじゃないのよ。12年前、わたしがあげたマフラーだって、9年前のタイピンだって、、、、、> とまあ、そんな按配で攻撃されると、下手な抗弁はかえって、窮地におちいるので、まずは誤ることに敷くはない、というのが狐狸庵先生のおしえだったように記憶している。 わたしも、論理の飛躍と拡大は、そういえば、よくやっている。しかし、記憶力となると最近とみに衰えて、武器にならなくなってしまった。 そのうえ、わがパートナーはなんの考えもなく、すぐに、誤って事を済ませようとする。ごめん、など私は余程でなければ、口にしたくないのだが、我がパートナーときたら、まったく、簡単にごめんが言えてしまう。放屁と同じくらい気にも留めていない。<そういえば、放屁もこちらのことをまったく無視してどこでも、いつでも、遠慮無しだなあ。> 然しである、ただ誤ってもらっても許し難いことはあるわけだし、同じ行動様式をとる本質を改めることなどまったく考えていないとなると、こちらも仏の顔もなんとやら、である。 今年にはいっても、なんども腹立たしいことはあった。ところがどうだろう、1ヶ月まえの出来事は鮮明であるが、それより前のことが、思いだせない。 こうなると、いささか説得力が乏しくなるのは否めない。がしかし、相手はそもそも、説得などされる気はないので、あくまで、こちらの怒りの正当性を自らに証明するだけのものでしかないのだが。記憶力の低下は仕事上だけではなく、私的日常にも影を落とし始めている。 ただ有難いことに、長い年月の積み重ねから、正確な日時は忘れても、怒りのもととなる許し難い行動の本質は把握しているので、怒りの正当性は確信している。<正当性の確信はあるが、それによって、パートナーの行動原理を変えさせることできない。それはとても悔しいことであるのだが。> そもそも、ひとは説得など受け入れないのではないか、と思ってしまう。対話なんて、ほんとに、それぞれのものから異なる地平にたどり着かせることができるのだろうか。 ほんのささいなことでさえ、こうなのだから諦め、事なかれ主義、あるいは怒り、争いしかないのだろうか。いえ、なにも一般てきなことを言おうとしているわけではありません。、我が家ではパートナーがそもそも、対話<口論?>より事なかれ主義を貫くことから30年以上も何も変わっていかないのに、いささか腹をたてている、このことをメモしただけなのです。
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2008,04,25, Friday
19世紀半ばに蝦夷地を旅してアイヌ民族の実態を誌した者の記録を、今日に読みと解こうとした人が、そのコタンの人別を書き写し始め、メモの量がふえはじめ、そのことを写経に似ると感じた。
記録は、各戸の戸主名から始まり、家族の名、年齢、続柄が列記される。ほとんど各戸毎に、誰々は<雇に下げられたり>とか<雇いに取られ>とか<浜へ下げられ>とある。そのくりかえしに目をさらすうちに、<雇いに取られる>本人や家族の嘆きや苦しみがつたわってきて、いつしか人別を書き写すというしぐさで、鎮魂の思いをあらわしたくなったらしい。気がついてみて、昔から写経という行為が、供養の業としてあることを意義深いこととして想った。 花崎皋平<静かな大地> 人別記録をつらぬく執拗な繰り返しが、それに目を凝らす者に、繰り返すという記録者の振る舞いのただならぬ意思を感知させる。それは、書き残された文字のつらなりを丹念になぞることによって読み取られるのである。いみじくも写経という行為が想い起こされているように、写本や写経における<書き写すというしぐさ>は、記しとどめられた文字の背後にひそむ数知れぬ<嘆きや悲しみ>に、記しとどめたものとともに思いを馳せる行為であった。 ここには私たちに大切な一つの<しぐさ>が示されている。このとき、その小さな文字のつらなりは、まさしく紙碑として立ち現れてくるだろう。 花崎の文に思想史研究者市村弘正はこのように記した。 人別記録。 名前、年齢、続柄。その一つひとつが、語りかけているのに、その事にまったく気づかず、やり過ごしてしまい、ただの文字の羅列としか感じられない。花崎とはまるで正反対の感性、しぐさ。その典型が社会保険庁の年金記録ではないか。 一人ひとりが生き、まっとうに働いた記録への思いはまったく、なかったのか。 行政をになうひとびとの<しぐさ>のさもしさを感じてしまう。おなじく、政治をになう人びとにも同じく、その鈍感さを感じてしまう。 所詮、個ではなく、マスとしてしか人間をみないのか。それが政治家なのか。官僚なのか。 かといって、わが身を振り返れば、冷や汗ものだ。文字としてではなく、ひとり、ひとりは顔をもち、体をもち、その体の不具合から、私はその人と出会をもつ。しかし、その生活にまで思いを馳せ、充分に対応してきただろうか。病院という大きな組織のなかでは、私にとって、患者さんは、症例としての認識がまさっていたようにおもう。組織から離れ、ようやく、生活の場を想像して患者さんと対することができはじめたと思うが、まだまだ、花崎のようにはいかない。 おおいに恥じ、共感力、想像力をそだてたいと切に思う。、
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2008,04,20, Sunday
みんみん蝉生命のかぎり鳴きつぐを我が歌詠うリズムとぞ聴く
77歳のとき、脳出血で意識をうしない、その回復の過程で50年の封印から急に歌がたちのぼり、その歌が歌集<回生>にまとめられた。もとより、わたしは歌に疎い。 この歌集はのぞいたこともない。が、作者の鶴見和子の本は読んだことがある。その一冊が<遺言>。 昨日、前登志夫、杉本栄子の二人が同日の新聞に訃報としてのっていた。その名から、鶴見和子の<遺言>を再見したら、やはり、二人のことが取り上げられていた。 荒き血と人はいへども山人の血のやさしさをかたみにいだけり 前登志夫は奈良吉野の山村を父祖代々の故郷とし、其の地で己が原初的心性の根っこを確実にとらえて生き、歌をよんだ人らしい。 杉本栄子は、水俣でその名の病から、患者とその他の人々の対立がおきたとき、旧村落共同体の<もやい>を、新しい絆として提示し、<もやいなおし>に存在をかけて先導した人らしい。 片身麻痺の我とはなりて水俣の痛苦をわずか身に引き受くる 微小宇宙我大宇宙とひびきあい奏でる調べ日々新しき 斃れてのち元まる宇宙耀いてそこに浮遊す塵泥我は 米寿の祝いの日に発病し、たぶん、大腸癌だったと推測するが、二ヶ月でその生をおえる。 妹に<死にゆく人がどんな和歌を詠み、何を考え、何を思って死んでゆくかを、客観的に記録しなさい>と命じ、<伯母の病気には悲壮感なく、生と死が両立していた。>と二人の姪に言わしめ、<姉の死の看取りは、私達家族への大きい贈り物である>と妹に言わしめた。 一切の延命処置お断りと文書く窓辺花散る気配 痛みとは我のみぞ知る我は痛み痛みは我片時も痛みは我を離れざるなり 山茱茰の枝はそよげり朝は強く昼は静かに 生命細くほそくなりゆく境涯にいよよ燃え立つ炎ひとすじ そのほかにこんなことも詠んでいる。 政人いざ事問わん老人われ生きぬく道のありやなしやと 九条はありても堰となさざるをなくては奈落へ雪崩れゆくらん 日本列島戦略基地に組み込まれ修羅を招くや我が去りし後に 強者―弱者、中心―周辺、異物排除の現状に果敢に闘い、めざす未来の社会のありようを指し示した鶴見和子。その<遺言>はいま、おもくこころに響いている。
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2008,04,16, Wednesday
後期高齢者医療制度は年金から、保険料が自動引き落とされるため、年金を引き出して、はじめてその額におどろいた、という人がいる。保険料があがる人、さがる人、平均すれば下がるというのが、厚労省の言い分だが、ほんとなの?とても、疑わしい。自動的に徴収される保険料の多寡は無論、とても大事な問題ではあるし、
これはこれで、とても切実な問題ではあるのだが、さらに根本的な問題点が何も議論されていないことに私は恐ろしさを感じている。 根本的な問題点は75歳を境に、医療の質をおとせ、と医療者側に暗に示唆していることなのだ、と私はおもう。<本人の望まない延命を医療者にさせないで、畳の上で臨終を迎えてもらうことが、良いだろう>と厚労省の副政務次官が言っていた。<臨終をむかえる人の最後の1か月に100万円も、かかる。>とも。 誰もあちこちに、管をつけて希望のない日々を生き続けたい、とは思わない。ましてや、他者に疎んじられてまでは。けれど、75歳を線引きして、助けられる人まで、質をおとせ、手厚い医療は必要ないといっているのだ。命に年齢の線引きがあっていいものだろうか? 私たちは病院で最後を迎えることの問題点に気づき、出来るだけ、本人が希望する場での臨終を支えたいと、在宅治療にも取り組んできた。治療が及ばなくなってしまい看護しか出来なくなった状態では、自宅での日々が望ましいと、考えていたからである。死を病院に囲い込むのではなく、家族にもどすことが、残される家族にも意味があると考えたからでもある。 だがしかし、現実は思ったより、はるかに厳しいものであり続ける。在宅での最後の日々を支える主役は家族。しかし、24時間介護、看護が出来るほどの、余裕をもつ家族は稀になっている。在宅での死を望んでも、叶えられる人はそれほど多くはない。 こんな状況で、在宅での看取りを制度が誘導するのはおかしい。経済性だけから組み立てられていると勘ぐりたくなる。死はだれにもやってくる。自分の死の在りようを考えておくことは大切であるが、必ずしも、自己の家族の状況は確実なものではありはしない。確かなことであってほしいのは、命を尊厳あるものとして、見守る仕組みである。制度だけで足りるとは思わないが、最低限の仕組みとして、医療保険はあるべきだ。命に年齢で差をつけることだけは止めるべきだと私はおもう。 今、私たちはどのような社会で生きたいのか、よく考えてみなければならない。 快適な生活、便利な生活。生産と消費に駆り立てられる生活。すこし不便でも、もう少し心に余裕、安心のある生活を私は望むのだが、はて、これは少数意見なのかしら。 後期高齢者医療制度について、料金、徴収方法だけでなく、その中身と、そこに盛り込まれた命への考え、つまりは、哲学を問い、議論していただきたい。政治家はもちろん、いつか、その日を迎える各人に。
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2008,04,14, Monday
但馬に住んで、25年。仕事場と家を往復するだけの毎日で、あまり、但馬のことを知りません。ただ、5、6年まえから、樽見の大桜のことは聞き及んでいました。山道をかなり、登る必要があるとも、聞きました。それで、ずっと、観に行けずに、ゆかしきもののままの存在でした。
でも、ふと、出かける気持ちの余裕とふんぎりがつき、ついに、大桜を拝見しました。 桑畑の跡地に一本、花を纏ってたっていました。補強材に支えられ、痛々しさもありながら、風格を漂わせ、盛りの花はそれはそれは、うつくしいものでした。 千年の風雪にも耐え、たち続けた樹木。 周囲の、今は草くさの生えるだけの石積みで区画された桑畑跡。人の手が入った石積みが更に、千年の歴史を際立たせ、時間とその場で営まれた人々のくらしを想いました。 木を四方からながめ、山道をくだりましたが、道を逸れた石積みの一郭で白骨が散っていました。頭蓋骨から、鹿のものと知れました。どうして死んだのかは知れませんが、山には人間だけでは無い、他の生き物たちの命の営みを垣間見せた白い骨。 桑が捨てられて、50年は経ったでしょうか。殖蚕業の隆盛とともに、石積みが山を上へ上へと這い上がり、桜の根を痛めたことも、桑が捨てられ、今は樹木医が手当てしていることも、人の営み。 幽玄のせかいにシテとしてあらわれ、物言うとしたら、桜はなんと、いうのだろうか、 そんなことを考えました。 一期一会、こころにその姿をやきつけましたが、それも心もとなく、画像に残すことにしました。 ![]()
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