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チベット、違憲判決、後期高齢者医療制度、そんなの関係ない?
みんみん蝉生命のかぎり鳴きつぐを我が歌詠うリズムとぞ聴く

77歳のとき、脳出血で意識をうしない、その回復の過程で50年の封印から急に歌がたちのぼり、その歌が歌集<回生>にまとめられた。もとより、わたしは歌に疎い。
この歌集はのぞいたこともない。が、作者の鶴見和子の本は読んだことがある。その一冊が<遺言>。
昨日、前登志夫、杉本栄子の二人が同日の新聞に訃報としてのっていた。その名から、鶴見和子の<遺言>を再見したら、やはり、二人のことが取り上げられていた。

荒き血と人はいへども山人の血のやさしさをかたみにいだけり

前登志夫は奈良吉野の山村を父祖代々の故郷とし、其の地で己が原初的心性の根っこを確実にとらえて生き、歌をよんだ人らしい。
杉本栄子は、水俣でその名の病から、患者とその他の人々の対立がおきたとき、旧村落共同体の<もやい>を、新しい絆として提示し、<もやいなおし>に存在をかけて先導した人らしい。

片身麻痺の我とはなりて水俣の痛苦をわずか身に引き受くる
微小宇宙我大宇宙とひびきあい奏でる調べ日々新しき
斃れてのち元まる宇宙耀いてそこに浮遊す塵泥我は

米寿の祝いの日に発病し、たぶん、大腸癌だったと推測するが、二ヶ月でその生をおえる。
妹に<死にゆく人がどんな和歌を詠み、何を考え、何を思って死んでゆくかを、客観的に記録しなさい>と命じ、<伯母の病気には悲壮感なく、生と死が両立していた。>と二人の姪に言わしめ、<姉の死の看取りは、私達家族への大きい贈り物である>と妹に言わしめた。

一切の延命処置お断りと文書く窓辺花散る気配
痛みとは我のみぞ知る我は痛み痛みは我片時も痛みは我を離れざるなり

山茱茰の枝はそよげり朝は強く昼は静かに

生命細くほそくなりゆく境涯にいよよ燃え立つ炎ひとすじ

そのほかにこんなことも詠んでいる。

政人いざ事問わん老人われ生きぬく道のありやなしやと
九条はありても堰となさざるをなくては奈落へ雪崩れゆくらん
日本列島戦略基地に組み込まれ修羅を招くや我が去りし後に

強者―弱者、中心―周辺、異物排除の現状に果敢に闘い、めざす未来の社会のありようを指し示した鶴見和子。その<遺言>はいま、おもくこころに響いている。



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| コラム | 10:34 PM | comments (x) | trackback (x) |
後期高齢者医療保険またの名は長寿者保険?
後期高齢者医療制度は年金から、保険料が自動引き落とされるため、年金を引き出して、はじめてその額におどろいた、という人がいる。保険料があがる人、さがる人、平均すれば下がるというのが、厚労省の言い分だが、ほんとなの?とても、疑わしい。自動的に徴収される保険料の多寡は無論、とても大事な問題ではあるし、
これはこれで、とても切実な問題ではあるのだが、さらに根本的な問題点が何も議論されていないことに私は恐ろしさを感じている。 
 根本的な問題点は75歳を境に、医療の質をおとせ、と医療者側に暗に示唆していることなのだ、と私はおもう。<本人の望まない延命を医療者にさせないで、畳の上で臨終を迎えてもらうことが、良いだろう>と厚労省の副政務次官が言っていた。<臨終をむかえる人の最後の1か月に100万円も、かかる。>とも。
 誰もあちこちに、管をつけて希望のない日々を生き続けたい、とは思わない。ましてや、他者に疎んじられてまでは。けれど、75歳を線引きして、助けられる人まで、質をおとせ、手厚い医療は必要ないといっているのだ。命に年齢の線引きがあっていいものだろうか?
 私たちは病院で最後を迎えることの問題点に気づき、出来るだけ、本人が希望する場での臨終を支えたいと、在宅治療にも取り組んできた。治療が及ばなくなってしまい看護しか出来なくなった状態では、自宅での日々が望ましいと、考えていたからである。死を病院に囲い込むのではなく、家族にもどすことが、残される家族にも意味があると考えたからでもある。
 だがしかし、現実は思ったより、はるかに厳しいものであり続ける。在宅での最後の日々を支える主役は家族。しかし、24時間介護、看護が出来るほどの、余裕をもつ家族は稀になっている。在宅での死を望んでも、叶えられる人はそれほど多くはない。
 こんな状況で、在宅での看取りを制度が誘導するのはおかしい。経済性だけから組み立てられていると勘ぐりたくなる。死はだれにもやってくる。自分の死の在りようを考えておくことは大切であるが、必ずしも、自己の家族の状況は確実なものではありはしない。確かなことであってほしいのは、命を尊厳あるものとして、見守る仕組みである。制度だけで足りるとは思わないが、最低限の仕組みとして、医療保険はあるべきだ。命に年齢で差をつけることだけは止めるべきだと私はおもう。
 今、私たちはどのような社会で生きたいのか、よく考えてみなければならない。
快適な生活、便利な生活。生産と消費に駆り立てられる生活。すこし不便でも、もう少し心に余裕、安心のある生活を私は望むのだが、はて、これは少数意見なのかしら。 
 後期高齢者医療制度について、料金、徴収方法だけでなく、その中身と、そこに盛り込まれた命への考え、つまりは、哲学を問い、議論していただきたい。政治家はもちろん、いつか、その日を迎える各人に。



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| コラム | 11:14 PM | comments (x) | trackback (x) |
樽見の大桜
但馬に住んで、25年。仕事場と家を往復するだけの毎日で、あまり、但馬のことを知りません。ただ、5、6年まえから、樽見の大桜のことは聞き及んでいました。山道をかなり、登る必要があるとも、聞きました。それで、ずっと、観に行けずに、ゆかしきもののままの存在でした。
 でも、ふと、出かける気持ちの余裕とふんぎりがつき、ついに、大桜を拝見しました。
桑畑の跡地に一本、花を纏ってたっていました。補強材に支えられ、痛々しさもありながら、風格を漂わせ、盛りの花はそれはそれは、うつくしいものでした。
 千年の風雪にも耐え、たち続けた樹木。
周囲の、今は草くさの生えるだけの石積みで区画された桑畑跡。人の手が入った石積みが更に、千年の歴史を際立たせ、時間とその場で営まれた人々のくらしを想いました。
木を四方からながめ、山道をくだりましたが、道を逸れた石積みの一郭で白骨が散っていました。頭蓋骨から、鹿のものと知れました。どうして死んだのかは知れませんが、山には人間だけでは無い、他の生き物たちの命の営みを垣間見せた白い骨。
 桑が捨てられて、50年は経ったでしょうか。殖蚕業の隆盛とともに、石積みが山を上へ上へと這い上がり、桜の根を痛めたことも、桑が捨てられ、今は樹木医が手当てしていることも、人の営み。
 幽玄のせかいにシテとしてあらわれ、物言うとしたら、桜はなんと、いうのだろうか、
そんなことを考えました。
 一期一会、こころにその姿をやきつけましたが、それも心もとなく、画像に残すことにしました。




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| コラム | 11:34 PM | comments (x) | trackback (x) |
蕨野行
村に約定あり、 60の歳迎えれば 皆 蕨野(わらびの)に参るべし
物心ついたときより 背負うて来た飢え、ようやく今 断ち切りたる  
あきらめるべし 
里の者の命取るか 蕨野の命取るか 自明の理なり 
そのためにこそ 蕨野はある

蕨野行   村田喜代子原作 恩地日出男監督 市原悦子主演  2003年製作
 
 市原悦子の、<ぬいよー>という家に残した嫁への呼びかけと、<よい、よい>との口癖が印象に残る映画だった。
 江戸時代、東北の農村では凶作に備えて、60歳を迎えれば、家柄に関係なく、<蕨野>へ集団追放され、その後は毎日半里の山道をおりて、農作業を手伝い、一日の糧を得て、再び、蕨野へ帰る。通えることができねば、糧は手に入らず、通えても、里に仕事が無くなれば、里へ下りることは禁じられ、山菜、木の実、うさぎ、鳥をとって糧とする。その糧もやがて尽き、冬の訪れとともに、ひとり、また、ひとりと死んでいく。
 さて、4月から、後期高齢者医療制度がスタートした。75歳で線引きをして、残りの集団の医療保険から切り離すのが目的らしい。医療費がかさみ、その負担に財政的破綻が予想されるため、との説明らしいが、この逼迫ぶりは75歳の平成蕨野送り、を正当化できるほどのものなのだろうか。

、蕨野に去った老人たちには、里に根があった。だから、思いやりとやさしさを抱いて、その村の掟に従えた。里がその存在のすべてだった。
ところがこの平成の世はどうだろう。まるごと存在を包み込むような、社会だろうか。
 子や孫を犠牲にして、生き延びたいとは誰も願ってはいない。が、功利至上の経済原理が貫徹される世のなかで、切捨てられる人々にはその存在をまるごとつつみこみ、安寧と受容をもたらす里など、ありはしないのだ。
後期高齢者医療とは名前が悪い、と福田首相は長寿者医療と言い換えることにしたらしい。
オイオイ、そんな問題か。
この制度はまさに、平成の<蕨野行>、いや、それ以下の<蕨野もどき行>だとおもう。
何人にも等しく、掟が適用され、里に残る人々にその存在の深淵をのぞかせる蕨野行ほどにも、この制度は及ばない。
<よい、よい>と、静かに穏やかに受容する声は、聞こえてはいない、と私はおもう。



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| コラム | 03:38 PM | comments (x) | trackback (x) |
されど木
木のあいさつ

ある日 木があいさつした
といってもおじぎしたのでは
ありません
ある日 木が立っていた
というのが
木のあいさつです
そして 木がついに
いっぽんの木であるとき
木はあいさつ
そのものです
ですから 木が
とっくに死んで
枯れてしまっても
木は
あいさつしている
ことになるのです

石原吉郎の詩です。
枯れて在るのではなく、伐られて根こそぎ消滅してしまった桜を惜しんでいます。
とても、個人的な感情ではありますが、挨拶もなく知らぬ間に消滅した桜は、後すこしで満開となるはずでしたから、その口惜しさは怒りに近いものでした。
考えてみると、じつに、多くのことどもが知らぬまに、進行しているのでありましょう。
地球の温暖化、貧富の格差拡大、地域紛争、グローバル化と言う名の人間の根を断ち切る経済原理の貫徹。気づいた時には、かって存在したものの残像しかなく、ホゾをかみ、知らなかったことを恨む。そんなことをふと、思ってそら恐ろしくなりました。
木は人間の時間を越えて、生きて立っていることも可能だから何かを語りかける存在なのでしょう。根こそぎされた桜は、少なくとも、私にはひとつのメッセージを残してくれました。その白い花影とともに。


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| コラム | 12:20 AM | comments (x) | trackback (x) |
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